火星-居住 (220805)

少し前に「CAROLE & TUESDAY」というアニメが放映されていた。火星に移住を果たした人類が築いた未来社会、その社会において、ミュージシャンを目指す2人の若き女性、その女性を取り囲む個性豊かな面々の物語である。米国の豊富な探査映像によれば、火星表面は、大小の岩が転がる赤茶けた平原や丘陵であるが、劇中に描かれた火星の首都アルバシティは、そのような荒地にできた未来都市の様であり、何処かラスベガスを彷彿させるものがある。

  火星の大気は、本来希薄でかつ95%二酸化炭素であり、生身の人間は生存不能のはずだが、アルバシティは、閉鎖的なドームではなくオープンエアの都市として描かれている。しかも登場人物も気密服など着ていないわけである。ということは、同作品の世界は、大気や気候がヒトの居住が可能なレベルまで改変された世界ということになる(ある意味、アニメではあたり前の設定であるが)。

 

本文は、火星居住、火星の未来についての考察である。

  以前、外国の民間団体が火星に移住する人員を募集していたことがある。報道では、結構の倍率であったようであるが、なかなか勇気のあるヒトたちであると感心したことを覚えている。火星に人類が降り立ち、そこに持続的な居住拠点を持ち、そのような複数の拠点からなるコロニーが都市に発展していくのは、夢物語ではないが、複数の技術的進歩を必要とすることは言うまでもないことである。

  アポロの月探査は当時の技術で片道3日程の行程であったが、火星への距離は単純に見積もってもその数百倍はある。当時のロケット技術であれば、到達するだけでも数年はかかることになる。近年のマーズ2020(USA)や日本も関係した無人の火星探査ミッションでは、ロケット技術の進展もあり、7ヶ月弱で火星に到達している。しかし、燃料や食料等に割り当てるペイロードを減らし、放射線の影響を軽減するためにも、移動時間は短い程よいので、有人ミッションの実現のためには、さらなる高速移動を可能とする推進システムの開発が必要である。一方、国際宇宙ステーション(ISS)において一年弱、健康に生活した乗員がいるので、数ヶ月ということであれば、無重力閉鎖空間における精神衛生上の問題はクリアされている可能性がある。

  アポロ計画では、月周回軌道に司令船が控えているため、緊急事態が生じたとしても、ミッションを中断し、上昇段を用いて司令船に避難し、その後数日で地球に帰還することができたわけであるが、火星への道行きはそう簡単ではない。行程を数ヶ月に短縮できたとしても、外部、内部要因による突発的事態に対応した安全な状況への退避が困難と考えられるからである。

  この行程はエベレストのような高所登山に似ているかもしれない。エベレスト登頂のためには、ベースキャンプから始まり、第2キャンプ、第3キャンプなどと人員と荷物の拠点を作り、最終的に登頂を目指すわけであるが、天候や人員の健康が悪化したり、不測の事態が生じた場合、1つ前の或いはより低地のキャンプに戻り、体制を立て直すことが可能である。遥か遠くを行き、地球からの直接的干渉もほぼ不可能な火星行において、このキャンプのような、より噛み砕けば、避難小屋のような拠点がないとするならば、それは、全員遭難の可能性もある非常に危うい状況にあるといえる。ではISSはどうかと考える人もいるかもしれない。ISSは宇宙空間にありながら、実質的には地球から直接バックアップ可能な位置、地球のお膝元であり、火星行より遥かに安全と考えることができる。

  以上のような状況からすると、有人ミッションのためには、あらかじめ、資材等を装備した、場合によっては与圧空間を持った中継拠点を、航路上にできれば複数配置することが必要であるように思われる。このような拠点は、火星表面におけるミッション装備を除いた帰還船のようなもの、或いは通常は深宇宙探査用の科学観測衛星として機能しているものを併用することが想像でき、ミッションにあたって、地球からの管制により、本船とランデブー可能な航路近辺に配置することになる(技術的には、そろそろ可能な段階に入っているのではないだろうか)。このような拠点は、当然、復路においても重要な意味を持つ訳である。

  さて、幸運にも、微小隕石の衝突等、不測の事態も起こらず、火星に辿り着いたとして、乗組員の主目的は、持続的な居住拠点を作ることである。しかしそこには多くの課題が存在する。 次に、火星移住のさきがけとなるミッションのアウトラインについて考えてみたい。 

  航行の危険の軽減、到達時間の短縮化が計られることにより、火星への訪問ミッション(数人の人員が降り立ち、科学観測やサンプリングを行い帰還するというもの)が実現するのは、そう遠くない未来であるように思われる。一方、火星に降り立った人員が、持続的な居住拠点を作り、定住化するには、多くの課題が待ち受けている。確実なのは、計画の実行には、長期間に渡る(何十年にも及ぶ可能性もある)、地球からの膨大な補給ミッションを必要とするということである。そして、定住化の鍵を握るのが水である。

  ちなみに国際宇宙ステーション(ISS)内では、水を電気分解することにより、酸素を製造しており、酸素分圧が高くなりすぎないようガス濃度が調節されている。そして、その電気分解の元となる水は、ヒトに含まれていた物も含めて、すべて地球から輸送されたものである。上に述べたように、火星大気は薄く、酸素濃度も低いので、火星上の拠点基地はオープンエアーという訳にはいかず、ISSのように酸素を作り出す必要がある。また、宇宙食の戻し水を含め、生活や基地の維持に必要な水も、当面、ミッションと同時に持ち込んだものや、補給ミッションにより投下されたものを使用することになる。

  一方、火星の両極には氷冠が、ユートピア平原地下には地下氷があることが報告されており(ごく最近の情報では、マリネリス渓谷の地表近辺にも存在し、南極域の地下には液体の水の存在が推定されている)、水を地球由来のものから、そのような火星由来のものに変える事が、居住ミッションの成功の鍵を握る、転換点であるわけである(逆に言えば、火星にそのような水が存在することが、居住や移住の議論を可能にしているとも言える)。一方、二酸化炭素やレゴリスに含まれる酸化鉱物を電気分解しても酸素は得られるが、居住利用の実効性はこれからの課題である。何れにしても、酸素供給の選択肢は多いほど良いという事になる。そして、火星自前の水の調達は、以下に述べる食糧自給実現ための必須事項である。

  居住ミッションを開始したとしても、当面、食糧は、携行した或いは別便で運ばれた宇宙食であるが、そのような状況で、比較的早期に基地で自給できる可能性があるのは、野菜等植物由来のものである。欧米、日本において、建物内部の閉鎖空間における養液栽培技術は、すでに一般的なものであり、ISS内でも試験的な栽培が行われている。一方、継続的な栽培を可能とする種子や肥料等は、依然として地球に依存するため、完全なる自給は、露地栽培(可能であるとして)同様、遠い未来の話である。

  また、かって帆船に家畜を載せて航海したように、いずれ宇宙船で家畜を輸送し、火星に畜産を導入する日が来るかもしれない。しかし、現実的なのは、プラントによる培養肉の生産である。欧米やイスラエルでは、すでに培養肉の生産方法が確立されており、一部は流通経路に載っている(結構いけるそうである)。培養プラントに必要な器材、培養肉の種となる牛、豚、羊等の凍結保存細胞、培地(水は火星自前となる)は、補給ミッションにより運ばれることになる。

しかし、個人的には、上記に先行し、タンパク質の供給システムとして、基地で定着しやすいのではと考えているものが2つほどある。

 1つ目は、コオロギである。東南アジアでは以前から食用とされてきたが、近年、米州や日本において、食糧問題を解決する次世代の食品として注目され、繁殖法が確立され、粉末を用いた菓子等がすでに流通している(口にした方もいるのではないだろうか)。輸送スペースを取らず(卵で越冬する種が多いので、卵の状態で低温輸送できる可能性がある)、水の消費も少なく、繁殖も家畜より遥かに容易なため、居住ミッション期のタンパク源として有効と考えられるわけである(粉末を、学校給食のカレーやシチューに使用すれば、大人になっても抵抗が少ないかもしれない)。

  2つ目は、ずばり鶏である。ただしこれは、有精卵の長期保存技術の開発が前提であり、成体ではなく、有精卵として火星に持ち込まれることになる。基地で孵化された個体は、通常は採卵を目的に小規模飼育され、後天的には肉の提供も想定される。基地の状況に応じて飼育を停止したり、有精卵からまた始めることもでき、最も早期に火星への移植が可能な家畜となる可能性がある。

  では、魚類はどうであろうか。近年、閉鎖循環型の魚類の陸上養殖技術の発達は著しく、海水魚を山奥で養殖することも可能となっている。凍結精子や卵として火星に輸送し、受精、孵化後、地球同様の条件(重力は異なるが)で飼育することは可能であろうが、やはり水を大量に使うことから、実用化はより後天的になると思われる。

  さて、火星起源の水の調達、酸素の製造を含めた生命維持システムの稼働、食糧素材の自給の試験など、居住ミッションはエネルギーを使う事ばかりである。ミッションでは、そのようなエネルギーをどのように調達するかという問題に直面することになる。これまで数多く投入された火星探査車(主電力は原子力電池)、そして、ISSで使用されてきた太陽電池がその1つの答えであり、拠点基地の近辺、或いは日照の良い好適地に余剰電力を産む規模で大陽電池エリアが作られることになる。一方、火星表面では、旋風や砂嵐の発生が報告されているので、移動式の風力発電機なども電力供給において有効な手段となる可能性がある。

  さらに、砂塵等の降下によって、主電力である太陽電池が影響を受けることも予想されるため、火星移住を計画する何処かの研究グループが、安定な電力供給を目指して、火星に小型の原子炉を導入することを提案している。確かに、ウェスティングハウス社やベクテル社等の艦艇用小型原子炉は、そのプロトタイプとなりうる可能性があるが、火星上で原子炉を組み立て、稼働要員を配置し、輸送された原子燃料や資材を用いて、発電を開始するのは、これまた大変なミッションである。そこであらかじめ完成された原子力艦船の機関部を、補給ロケットに内包するようにし、火星に投入するという方法も考えられるわけである。

  一方、原子炉まで行かなくても、多くの惑星探査機に用いられてきた原子力電池の、火星への導入は、不測の事態に備えた電力源として有効である。プルトニウム238等、半減期の長い放射性元素原子核崩壊の際に放出される熱を、熱電変換素子等により電力にする(他の方式もある)原子力電池はコンパクトであり、居住ミッションに携行でき、その後の補給ミッションで追加可能であるので、安定電源として有力なものである。そして、この原子力電池は、火星由来の水の利用や、惑星の環境改変の初段としても、重要な役目を果たす可能性がある。

  元々、液体の水が拠点基地近傍にあり、そのような水を基地に引くのが最も簡単な方法であるが、科学観測によれば、今のところ地表近辺に、恒常的な液体の水は存在しないので、極地や平原、渓谷の表面近傍の氷を利用することになる。

  さらに、地表に液体の水源を作るという方法も考えられ、その液体の水源の作製に、先ほど述べた原子力電池を装備した環境改変ユニットが使用されるわけである。それは、探査機のように電力の供給を目的にしたというよりも、熱をそのまま利用するものである。より具体的には別の回に述べるとして、そのような原子力電池による発熱ユニットは、例えば、極冠の氷原や氷を含む平原に、居住ミッションに先行して、アンカーかブイのように複数投入にされ、長期間にわたり放熱しながら、近傍に液体の水の領域を形成することになる。

  さて、氷にせよ液体の水にせよ、エネルギーや労力の節約、継続性の観点から、最初の居住基地は、水源に近いことが要件になると思われる。そして、その居住基地の構築は、有人ミッションよりも遥か前に準備を進めておくことが肝要である。

  ミッションの人員が、スカイクレーン等で投下された基本的建築資材を建設予定地に集積し、着陸艇から通いながら、機密服を着て基地の建設や構築を行うという段取りは、映画など創作物の世界ではありえそうであるが、空気、食料等の生活資材、そして時間が限られた火星上においては、現実的では無いように思われる。念入りに準備されたこれまでの火星探査においても、ほぼ毎回何らかのトラブルが発生しており(できることは、トラブルの頻度を減らし、代替法を用意しておくことである)、居住ミッションにおいても、資材、機器、気象、人員等が関係した何らのトラブルが発生することが十分予想される。

  問題は、そのようなトラブルが、その時点のミッションの装備や状況によって解決できるものなのか、次の補給ミッションを必要とするものなのかという点であり、後者の場合、計画が数ヶ月、或いは年単位で停止することになる。ミッションは大過剰の生活資材の投下を前提とするので、生命維持に支障はないと推定されるが、その間、着陸艇が人員の唯一の生存空間となるわけである。数ヶ月後の補給が順調に行われ、基地の構築を再開できたとしても、新たな問題の発生は、ミッションの遂行能力自体を奪うことになる。

  それでは、火星に持続的な居住拠点を作ることなど、幸運にも何も問題が起こらず成し遂げられた慶事であり、そんなリスクのあることは、少なくとも大気の改良が済んだ未来(可能であるとして)でいいのではないかということにもなる。本文の目的は、遥か未来でなくとも、現時点或いは到達可能な科学的背景において、構築可能な火星居住基地の輪郭について言及することであるが、成功する可能性が最も高い方法は、完成品又はほぼ完成品の居住ユニットを投入することである。

  すなわち、居住ミッションに使用する基地は、地球において製作され、人員の到着に先行して火星表面に投入された、完成品又はほぼ完成品の居住ユニット(当然のことながら、地球において生命維持システム、安全性、拡張性等を徹底的に検討されたものである)を連結して構築される事が望ましい。それらユニットの外形を、一概に決定することは難しいが、強度や生産コストの面から、球や繭形や饅頭形、又はそれらに内接する多面体のような構造、ISSに見られる円筒などが想定され、複数の共通した連結面を持ち、容易に他ユニットと接合可能なものである。さらに、ユニットの一面に車輪やキャタピラーのような移動要素を備えており、ミッションの人員や地球からの遠隔操作により、自立移動できる事が必須である。

  このような居住ユニットは、ミッションの着陸予定地近傍にあらかじめ投入され、着陸艇を基幹に連結、拡張されたり、水源地近辺に投入され、新たな基地として構築されることが想像できる。当然、ユニットは、地球における製作過程において、遠隔操作により集合連結させ、安定した与圧空間が形成できることを試験されたものということになる。ユニットは、言わば、生命維持システムを備え、内部に電離放射線から防護される与圧空間を形成でき、移動して他ユニットと連結(脱連結)できるロボットのようなものと考えることができる。 

ユニットは、最初の基地の構築後、必要に応じて補給ミッションにより追加され、ハブから分枝する枝のような構造に連結されたり、或いは計画に沿って別の構造に連結されうる(図1. step1、2)。ユニットの幾つかは、水回収、酸素発生、二酸化炭素吸収等の生命維持装置を含み、拡張する住空間の生存環境を維持する。別のユニットは、火星の水の貯蔵や浄水システムに使われ、一部の水は回収水と合わされ、酸素発生に使用されると考えることができる。さらに、一部のユニットは、植物工場や、先に述べたようにコオロギや鶏の繁殖ラボに割り当てられ、食料自給の初段の研究がなされることになる。

  ユニットの連結は、遠隔操作により、火星上で或いは地球からの管制で半自動的に行われるが、ユニットと同時に送り込まれた多目的汎用ロボットのようなものの補助を受けて行われることも推定できる。

                                     

(図1. type 1とtype 2、2種類のユニットにより構成された基地が例示されている。step 1は最初期の基地の構成の1つであり、補給ミッションによりユニットが追加され、step 2のように複雑化、多機能化していく。)

  さて、居住ミッションの転換点となる、火星の水の利用に成功し、その水を用いた食料自給の試みも軌道に乗り始め、滞在する人員も増えてきた頃、居住ミッションが、次の段階に入ることが想像できる。ユニットよりなる基地全体を光透過性のある外壁で覆い(底部は気密性を勘案して施工され)、簡潔に言えば、温室状或いはドーム状の構造にすることである(図2.step3) 

                                           

(図2. step 2の構造が、隔壁に覆われstep 3の構造となる。外壁と結合するユニットはエアロックとして機能している。)

外壁には、火星表面に降り注ぐ放射線を安全なレベルまで軽減し、基地の気密性を担保しうる樹脂や硝子材料が使用されるが、このような居住ユニットの内包化は、基地の将来的なコロニー化、都市化において重要な意味を持つと考えられる。ユニット段階の基地では、ユニット外は呼吸のできない過酷な寒冷地である。一方、内包化で、ユニットの外側に生活空間が拡張され、生活に多様性がもたらされると、それまでの前線基地から、居住地という趣きが深まることになる。

  内包化した基地の規模にもよるが、例えば、ユニット間の空き地に土壌を作り、それまでユニット内のみであった食用植物の生産を拡張したり(サツマイモなども候補である、甘藷(37))、花咲く庭を作ってもよいわけである。さらに、基地の一角に池を造成してもよく、池には鑑賞と実利を兼ねて、ハスやジュンサイ等の水生植物を繁殖させ、池を含めて擬似生態系を構築することも考えられる(図3. step 4)。 

                                           

(図3. step 4、より多くのユニットが結合され、農耕地や人工池を含む居住基地)

  このような居住地は、過酷な外部環境に対峙して、地球の日常と似た環境を提供し、人にやすらぎを与えるという面を持ちつつ、外壁の密閉性に支障が生じた時は、速やかに安全な居住ユニット内に退避することを可能にしている。

  さて、この様な隔壁で覆われた居住地が、一定の区域に複数できると、それら基地どうしが回廊で結ばれることが予想される(図4.c1)。また、個々の居住基地表面や回廊から気密域が拡張されることも考えられ、それは、既存の外壁を構造の一部として外側に隔壁が形成され、構築後は元の外壁を取り去り既存の気密域と一体化されるもので、酵母ヒドラの出芽に似ている(図4.c2)。さらに、既存の気密域や回廊をベースとして増築や拡張が進行すると、ちょっとした町の様相を呈するようになる(図5.c3)。

 

               

 (図4. 1は図3 step 4に相当する居住基地を想到している。 そろぞれの居住基地は回廊(薄青)で結ばれ、非気密で行き来可能である。)

  一方、このような基地の拡張や維持に用いる資材を、すべて補給ミッションに頼ることは大きな負担である。拡張された領域には、多様な3D造形装置等が導入され、火星資源から、資材や資材の一部を生産、代替するための研究を行うラボや工場が設置されると考えることができる。

  また、居住域の拡大による生命維持装置の増大や、火星資源の利用の試みにより、電力消費量は当然格段に増大すると予想され、事実上制限の無い基地外に、より広大な太陽電池システムを設置することで需要を賄える可能性があるものの、この段階においては、安定した電力供給を目指して、上に述べたように、艦載用をベースにした発展型小型原子炉を設置することも考えられる(図5.c3)。                                                       

                                       

(図5. 新たに拡張された領域2には、火星資源から建築資材等を生産するためのラボや工場が設置される。居住基地群c3の別棟として、小型原子炉を保持した領域3が構築される。)

  一方、気密域の生命維持環境が安定化すると、拡張したすべての領域における作業や居住の場が、ユニットである必要はなくなり(一部は緊急避難用に残されるものの)、多くは火星に適した非気密のプレハブ建築物のようなものに移行していく可能性がある。

  さて、火星の前線基地が、居住基地となり、コロニーや町のようなものに近づいて行く時、住む場所としてのライフスタイルの転換点は何であるのか 考えてみると、その1つは入浴の導入であるように思う。

  身体の清潔化に関して、ちなみにISSでは、すすぎ不要のドライシャンプーや石鹸を含んだタオルを使用しており、火星前線基地においても、ISSとほぼ同様の状況になることが予想される。一方、居住ミッションが始まり、火星の水の利用に成功し、水の供給に余裕がある段階になると状況は変化してくる。頻度は低いながら、入浴できる可能性が出てくるわけである(排水は以前同様、再利用される)。 

  そして、隔壁内の、先に述べたユニットではない建家に浴室を作ることも想定され、さらに推し進めると建家の一部を開放系にし、露天風呂のようなものを構築することも考えられる(日本人的な発想ではあるが)。このように、身体の清潔化における入浴の導入は、探査地であった火星を、入植地、開拓地に変えるイベントであるように思うわけである。

  ここまで、火星に人類が降り立ち、居住ミッションを開始し、補給ミッションを受けながら(人員の増加や交代を行いつつ)、居住基地を複雑化し(step 1→step 4)、やがて、町や都市の前駆となる基地群(c1→c3)を形成する過程を述べた。このような経緯を見てきて、少し疑問に思った方もいるかもしれない。これまでの基地や基地群は、すべて気密化された居住、行動スペースによって構成されているが、火星の居住はずっとそのような状況を前提とするのかということである。

  これには、当然、大気と気候改変の問題が関係してくる。多くの探査データが示すように、火星の大気は希薄であり、表面大気圧は平均で地球の0.74%ほどしかない。しかも二酸化炭素(CO2)がほとんどで酸素(O2)はわずかである。生身で外に出れば、瞬く間に窒息である(しかも表面は平均-63℃の極寒でもある)。火星の表面近傍の環境改変に関する議論には、温暖化と呼吸できる大気の形成という、相互に関連し合う2つの視点があるように思われる。

  温暖化においては、火星の表面近傍に存在するドライアイスや炭酸塩等からCO2(気体)を発生させ、その温室効果により火星を温暖化しようという議論がある。一部の研究者の試算によれば、現在推定されるCO2源をすべて利用できれば、50hPaほどの大気を得る事が可能である。しかし、このレベルでは、温室効果をもたらすことはできない。しかも、MAVENMars Atmosphere and Volatile EvolutioN)の探査では、大気上層において、CO2が宇宙に拡散していることが確認されており、そのようにして発生させたCO2が安定的に保持されるとは言えない状況もある。

  温室効果は、水蒸気や近年火星において確認されたメタンによっても引き起こされるので、上のCO2放出のスケジュールとそれらの存在時系列が一致すれば、より大きな効果をもたらすことが可能かもしれない。また、地球からもたらされた食料や飼料などの炭素源を用いて行われる居住ミッション自体が、幾分かCO2濃度の上昇に寄与すると考えることができる。

  火星内部の事は、まだ十分な理解が得られていないので、より大量の炭酸塩等が存在する可能性もあるが、現時点の探査データに立脚するならば、上記のように火星由来の物質に依存して、温室効果をもたらす事は厳しい状況にあると言える。研究者によっては、火星の塩素を用いてフロンを発生させ、温室効果を高めようという発想も見られるが実効性は不明である。

 

  火星由来のCO2を用いて大気を形成する時、現時点では上に述べたように限界があり、温室効果をもたらすほどのものではない。そして、新たなCO2源が見つかり、エベレスト頂上の340hPa程の大気を作れたとしても、そこには重要な問題が控えている。

  地球の海面大気は101.3kPa で、78%のN2、20.9%のO2、0.93%のAr、0.04%のCO2と他微量成分からなり(1975年のデータなので、今はわずかに変化している成分もある)、ISS(国際宇宙ステーション)では上記大気と同様の空気(N2、O2の分圧)が維持されている。以前述べたように、通常時O2は水の電気分解により製造され、Anoxiaを引き起こす18%以下の濃度にならないよう厳密に管理され、一方、CO2は7%以上になると中毒を引き起こすので、他の微量汚染物質同様除去され、船内の滞留濃度は低く抑えられている。そして、このような人工空気のベースとなる窒素分子N2は、船外に拡散する量の補填を含め、水同様、地球から輸送されている。

  少し遠回りとなったが、火星地表において、基地外で非機密で行動するためには、大気がISSや居住基地同様、不活性で無害なN2をベースとするものである必要がある。太陽系では、地球と土星の衛星タイタンにのみ、窒素が豊富に存在するが、火星では、薄い大気(平均7.5hPa)に2.7%しか含まれておらず、火星表層や地下にアンモニア等の窒素化合物が大量に存在するという報告も今の所ない。CO2同様、かっては現在よりも多くの窒素が存在していた可能性もあるが、火星形成時の降着物質に、元々、窒素やアンモニアがあまり含まれていなかった可能性もある。このような状況を鑑みるに、現状、呼吸できる限界の気圧であっても、N2をベースにした大気で火星地表全体を覆う事は厳しいということになる。

  とは言っても、居住基地や基地群、回廊近辺など限られた場所のみであれば、それほど未来的技術を使わなくても、呼吸可能な大気で覆い、非機密で行動することが可能かもしれない。それについては別の回で述べることにして、現状、アニメのように火星表面をオープンカーでドライブできるような大気で覆うことは難しく、将来、可能になるとしても格段の技術革新と時間を必要とするということになる。

  未踏の技術の言及はSF的要素を強めるが、先に安定な電力源として、居住基地に原子力発電所を導入する計画を述べた。原発があれば、炭素の放射性同位体14Cを作ることが可能である。そしてよく知られているように、14Cはβ崩壊により14Nに移行する。この過程を加速する技術があれば、火星の12Cから14Cを経て14Nを効率的に製造することができるはずである。放射性分子である7Be(ベリリウム)をフラーレンC60の内部に導入したところ、半減期を1%短くすることに成功した(7Beは7Liに崩壊する)という東北大学の報告もあるので、全く取っ掛かりのない技術というわけでもない。

  居住基地の空気に使用する窒素は、地球からの補給により賄われるが、火星の低層大気に、輸送した窒素(地球のみでなくタイタンからという可能性もある)を放出し続け、火星大気のベースを構築するという考えも可能であるが、磁場、太陽風、重力など、様々な要因が影響するので、投入された窒素がどのように平衡化するのかは全く不明である。また、火星には、かって液体の水の海が存在したという推測があり、そのような海を維持していた環境の研究は、火星の温暖化や、好ましい大気を作る上で重要な示唆を与えると考えることができる。以上の点を実地で研究し、火星環境や大気改変の可能性を探ることが、居住ミッションの目的の1つであるわけである。

自分は、火星に地球の自然や生態系を持ち込む事に、賛成である。一方、火星独自の壮大な景色や地質的モニュメントは、そのままの状態で残すべきであるとも考えている。そのためには、居住基地やそこから発展した都市は、気密性の隔壁やドームで覆われた構造である方が良いかもしれない。

居住基地の一画には、蓮池とそれに連なる竹林(あまり高くならない様にホウライチクあたりが良いであろうか)が有り、縦に林立する竹と横に広がる蓮の葉が、翡翠色のコントラストをなし、開花期が合えば、桃色の蓮の花が忘れ物の様にぽつぽつと咲いている、ユニットで飼育しているコオロギは、何かの拍子に何匹かは逃げ出すもので、その逃げ出したコオロギや子孫が、茂みあたりで高い抑揚のあるフレーズで鳴いている、池の縁に佇んで基地の外を見ると、遠くの赤茶けた地平線の上には、少し傾きかけた太陽がある、ここは、極楽浄土ではないか、というのは少し感傷的な想像であるが、火星の居住ミッションは、今後50年以内に米国を中心として(日本も勿論参加の可能性がある)始まると思われる。その先にあるのが、風変わりなリゾートか第二の地球なのかは、まだわからない。